メギドのシナリオではたびたび食事と共感性の話をするが同じ食べ物(人肉・血)を拒否するのも共感の1つと考えればバラムとソロモンの間にも確かに共感があり、部分的にでも共感があるなら親友にだってなれる素地がある(例としてソロモンとフォルネウスは故郷を失った同士の共感で繋がれた)というのを前提として、今回のイベントは「メギド(である自分)はヴィータとは友達になれない」と思い込んでいたバラムがソロモンによって「バラムは食べなかったと思うよ」と信じて貰えて今のメギドのバラムのまま肯定されて、ヨスガとソロモンをメギドのバラムでも友達だと認められるようになってリジェネという話だと思ったつまり閉ざされた世界というかバラム自身が閉ざしてた世界が開けたんだねエピローグでずっと行ってなかったヨスガのお参り(あそこでは死んでないけど)に行けたことと、ソロモンに自分の好む食べ物を食べさせようとしたことはバラム自身が2人との友情をちゃんと肯定できたからかと思う今年は信頼や目には見えない絆の話が多かった気がするが(まあそういう話題は最近に限らずずっとしてるんだけど)、今年の終わりかつ周年の節目にメギドとヴィータが改めて友達になる話持ってくるの感慨深いね
今回の事件はバラムが持つことが出来なかった人脈で解決したがソロモンとバラムの最大の違いは人望で、ソロモンは他人を信じることが出来てだから人望があるバラムは何も相談せずヨスガの元を去ったように他人を信じて判断を託すみたいなことができず、だから人望がないそう捉えてみると今回のシナリオは相手を信じられなかったバラムが少しは信じられるようになった話とも考えられるただ普段(探索道中台詞)気軽に遊びには誘えるのに肝心な時(友達のお参り)には素直に誘わないところバラム相変わらず…と思ったし最後まで自分の悪食を相手に合わせて変えるつもりがないのもバラム…バラムの人望のなさの理由を「不信」として持ってきて、キャラクター性の補強・掘り下げと信頼と絆の話の決算をぶつけてきたのだとしたら綺麗にハマってて良&凄
でもやめておけ音頭だぞコイツ
閉ざされた世界の中でをバラムの信頼と絆の話と捉えるなら、相手と自分を信じてきちんとぶつからないと本物の関係性は築けないという話だった勇気と自信のカワイイ祭りと文脈的に繋がりがあると考えられるそして祭りといえば音頭であるつまりバラムが単騎で勇気と自信のカワイイ祭りを決行した結果、音頭を披露することになったのだ狭間の世界のソリロキーは暗にバラムが魔法少年であることを示唆しているというワケだ
「ヨスガのお参り」みたいなツラで「バラムが自分から勝手にヴィータだった頃の自分を死んでいたことにした場所」に来る展開で締めくくったの、すごく綺麗な終わり方でよかったな。バラム自身からヨスガがここで亡くなったわけじゃないって言語化されるのがまた味わい深いお話だった。月1くらいで浸りたいから来月あたりにでも常設じでぐれ~(無茶)
周年イベント→キャラストの順で読むと、バラムのメギド時代の悪食という習性(個)がヴィータと交流するきっかけになっていたのが良かった。バラム自身も料理を通して他者と喜びを共感したいという願いや自分の味覚が受け入れられない悔しさをリジェネ前より素直に表に出すように変化していたのが微笑ましく感じた。
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メギドのシナリオではたびたび食事と共感性の話をするが同じ食べ物(人肉・血)を拒否するのも共感の1つと考えればバラムとソロモンの間にも確かに共感があり、部分的にでも共感があるなら親友にだってなれる素地がある(例としてソロモンとフォルネウスは故郷を失った同士の共感で繋がれた)
というのを前提として、今回のイベントは「メギド(である自分)はヴィータとは友達になれない」と思い込んでいたバラムがソロモンによって「バラムは食べなかったと思うよ」と信じて貰えて今のメギドのバラムのまま肯定されて、ヨスガとソロモンをメギドのバラムでも友達だと認められるようになってリジェネという話だと思った
つまり閉ざされた世界というかバラム自身が閉ざしてた世界が開けたんだね
エピローグでずっと行ってなかったヨスガのお参り(あそこでは死んでないけど)に行けたことと、ソロモンに自分の好む食べ物を食べさせようとしたことはバラム自身が2人との友情をちゃんと肯定できたからかと思う
今年は信頼や目には見えない絆の話が多かった気がするが(まあそういう話題は最近に限らずずっとしてるんだけど)、今年の終わりかつ周年の節目にメギドとヴィータが改めて友達になる話持ってくるの感慨深いね
今回の事件はバラムが持つことが出来なかった人脈で解決したがソロモンとバラムの最大の違いは人望で、ソロモンは他人を信じることが出来てだから人望がある
バラムは何も相談せずヨスガの元を去ったように他人を信じて判断を託すみたいなことができず、だから人望がない
そう捉えてみると今回のシナリオは相手を信じられなかったバラムが少しは信じられるようになった話とも考えられる
ただ普段(探索道中台詞)気軽に遊びには誘えるのに肝心な時(友達のお参り)には素直に誘わないところバラム相変わらず…と思ったし最後まで自分の悪食を相手に合わせて変えるつもりがないのもバラム…
バラムの人望のなさの理由を「不信」として持ってきて、キャラクター性の補強・掘り下げと信頼と絆の話の決算をぶつけてきたのだとしたら綺麗にハマってて良&凄
でもやめておけ音頭だぞコイツ
閉ざされた世界の中でをバラムの信頼と絆の話と捉えるなら、相手と自分を信じてきちんとぶつからないと本物の関係性は築けないという話だった勇気と自信のカワイイ祭りと文脈的に繋がりがあると考えられる
そして祭りといえば音頭である
つまりバラムが単騎で勇気と自信のカワイイ祭りを決行した結果、音頭を披露することになったのだ
狭間の世界のソリロキーは暗にバラムが魔法少年であることを示唆しているというワケだ
「ヨスガのお参り」みたいなツラで「バラムが自分から勝手にヴィータだった頃の自分を死んでいたことにした場所」に来る展開で締めくくったの、すごく綺麗な終わり方でよかったな。バラム自身からヨスガがここで亡くなったわけじゃないって言語化されるのがまた味わい深いお話だった。
月1くらいで浸りたいから来月あたりにでも常設じでぐれ~(無茶)
周年イベント→キャラストの順で読むと、バラムのメギド時代の悪食という習性(個)がヴィータと交流するきっかけになっていたのが良かった。
バラム自身も料理を通して他者と喜びを共感したいという願いや自分の味覚が受け入れられない悔しさをリジェネ前より素直に表に出すように変化していたのが微笑ましく感じた。