追放メギドの愛情についてフォラスの場合、妻子に対して普通のヴィータ的な親愛の情とメギドの個から来る欲求(フォラスなら探求心)の両方を向けている。灯火イベでフォラスは「己の妻子への感情がヴィータ的な意味での本物の愛情なのか」と悩んでいる様が描かれたが、最終的にフォラスはその両方ない交ぜになっている感情全体が彼にとっての愛情であるとして納得した(と思う)。拷問イベでフルカスは「己のナブールに対する高揚感が恋情なのかそれとも殺意なのか?」と確かめたがっていたがこれはフォラスの悩みと似ている。フルカス本人は殺意と恋情を別物としてとらえていたけれど、多くの追放メギドの内面でヴィータ性とメギド性が不可分であるように、ひょっとすると、追放メギドである彼女にとってその2つ(殺意と恋情)は密接に結びつき必ずしも分別できるものではなかった…のではないだろうか?そう考えるならフルカスがレオに向けた殺意も、恋情ではなかった訳ではなくて、追放メギドなりの恋であったと言えるのかもしれない。フルカスの個が求めるところは殺意とか嗜虐だろうから。追放メギドの愛情において、個の欲求との兼ね合いは重要なターニングポイントになるのかもしれない。
フォラスは「メギドとして」「ヴィータとして」おなじ”家族を想う感情”を大きな視点で一つの愛として受け入れたが、フルカスは「恋人を愛したい」「恋人を殺したい」という2つを逆さまの感情であると自覚していたからこそ明確な分別を求め、その激情に名前をつけてやりたかったんだろうな。誇り高いメギドであった彼女がどういうヴィータ生を歩み、嗜虐性に目覚めたのかはわからんが・・・その矛盾した感情を発現するに至ったレオとの出会いは、彼女の心だけでなく人生にも大きく穴を開けたのだろうよ。フォラスは愛の形を自身で結論付けた。フルカスは恋の形を他者に求めた。愛と恋とは、一概に語り尽くせるもんじゃないのかもしれんが。
追放メギドが個の欲求を向ける対象への感情とヴィータ的な愛を結びつけるのだとしたらフルカスは愛したかったし愛されたかったんだな
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追放メギドの愛情について
フォラスの場合、妻子に対して普通のヴィータ的な親愛の情とメギドの個から来る欲求(フォラスなら探求心)の両方を向けている。灯火イベでフォラスは「己の妻子への感情がヴィータ的な意味での本物の愛情なのか」と悩んでいる様が描かれたが、最終的にフォラスはその両方ない交ぜになっている感情全体が彼にとっての愛情であるとして納得した(と思う)。
拷問イベでフルカスは「己のナブールに対する高揚感が恋情なのかそれとも殺意なのか?」と確かめたがっていたがこれはフォラスの悩みと似ている。フルカス本人は殺意と恋情を別物としてとらえていたけれど、多くの追放メギドの内面でヴィータ性とメギド性が不可分であるように、ひょっとすると、追放メギドである彼女にとってその2つ(殺意と恋情)は密接に結びつき必ずしも分別できるものではなかった…のではないだろうか?
そう考えるならフルカスがレオに向けた殺意も、恋情ではなかった訳ではなくて、追放メギドなりの恋であったと言えるのかもしれない。フルカスの個が求めるところは殺意とか嗜虐だろうから。
追放メギドの愛情において、個の欲求との兼ね合いは重要なターニングポイントになるのかもしれない。
フォラスは「メギドとして」「ヴィータとして」おなじ”家族を想う感情”を大きな視点で一つの愛として受け入れたが、フルカスは「恋人を愛したい」「恋人を殺したい」という2つを逆さまの感情であると自覚していたからこそ明確な分別を求め、その激情に名前をつけてやりたかったんだろうな。誇り高いメギドであった彼女がどういうヴィータ生を歩み、嗜虐性に目覚めたのかはわからんが・・・その矛盾した感情を発現するに至ったレオとの出会いは、彼女の心だけでなく人生にも大きく穴を開けたのだろうよ。
フォラスは愛の形を自身で結論付けた。フルカスは恋の形を他者に求めた。愛と恋とは、一概に語り尽くせるもんじゃないのかもしれんが。
追放メギドが個の欲求を向ける対象への感情とヴィータ的な愛を結びつけるのだとしたらフルカスは愛したかったし愛されたかったんだな