今回街の管理人として領主は責任を負う結果になったけど答えの無い答え探しに向き合い続ける姿勢、イタチごっこをただの虚無と見做すのでなく大事な意義を見出す視点、責任から逃げない覚悟等々、失うには凄く惜しい善性の人だなぁと思ったもちろん死刑確定に決まった訳では無いんだけどフリアエとの会話は読んでてルシファーメギスト思い出したよ
ヴァイガルドではいいやつから死んでいくから(語弊)
このバラムの台詞はソロモンにも通じる話でソロモンがどんなに優秀で善人でも結果が伴わなければペトロみたいに罪を問われる、責任の重い立場なんだなと思うとちょっと怖かった今回は最近のシナリオの「意思で世界を変えたい」という話に対する「自分の確かな意思で行動しても報われなかった」話であり、無知や愚かさは罪になり得るという話でもあると思ったペトロは無知な愚者で結果的な罪人で報われない善人だったね…
うーんでも全知全能の神でもないし、誰が結果を完全に把握して行動できるというのだろうバラム当人もメギドラルでやらかしてるわけだし、第三者の立場で欠点だけを指摘するのは違うと思うんだけどね
社会的には結果を見て判断って意見はすごくずっしり来た、まさに自分達も避けられない運命…悪気がなかったのでお咎めなしでーす!は連発しまくってたら、確かに世の中めちゃくちゃになるただ今回のバラムはけっこう感情的に言葉を放ってる印象だったな、自分が過去見た場所だからってムキになってる様に見えたというか感情は全く別物だけど命令無視してアッキピテルの元へ駆け出した様に、領主も今殺されかけてる人々を救いたいって衝動があったんだよねあくまで主犯は全く別(コレは本当にガチでそう)とか、何よりハルマ自身全く同じ出発地点だったのに堂々と責められたモンでもないとかいわゆる情状酌量も見込める部類じゃないかな…と個人的には期待してる裁くべき立場の人を裁くのは必要な事だけど、ただお仕置きして終わりじゃなくて背景を丁寧に分析した上で今後を見据えた結果が望ましいというか誰しも全知全能ではない状況で社会を健全に保って行くにはどうするのが良いか?って確かに答のない答え探しなんだな、ハルファスの決められないはある意味超誠実だと感じた
同じくバラムは今回感情的に感じたが、これまで魔女狩りだの悪魔狩りだので追放メギドが吊るされてきたのを見てきたのかもね。バラム自身がソロモンの認識外で色々と動いてる面もあって、そこは正直今回の審問官と同じだから(背任と手助けのようにそれぞれ目的は違うけど)いつかそうした行動でソロモンが責任を取る必要ができたときに同じことを言えるのかなと少し疑問
良くも悪くも手段より目的、過程よりも結果を重視するところがバラムらしさが出てる意見だよねルシファーの裁定ではないが、ある誰かの立場に立って考えようとすると見方に偏りが生じるから、みんなの立場から考えて誰にも責任を問わなかったハルファスは平等で物凄く優しいしかし博愛は誰も愛していないのと同じとよく言うように、時に平等さは誰にも優しくしないのと同じになる場合がある(あくまで場合による。これもまた結果次第だろう)そう考えるとある意味バラムの意見も、偏っている優しさと取れないこともないバラムはメギドでもヴィータでもなく追放メギドの味方であることを選んだ立場だから、バラムからは誰にも責任を問わないという意見は出てこないのかもなあ。良くも悪くもバラムが感情的、ペトロは情状酌量があってもいい、はそう思うタイトル「汝、罪人なりや?」誰もが罪を問われ得る、責任ある者ほどその問いを自分に問い続けなければならない、という重苦しい意味だけでなく、ハルファスの「本当に誰かに罪はあるの?」という優しい意味も感じられて好き疑問形なのも答えの無さ故かもしれん
ペトロは感情的には罪人には思えないけれど、イベスト冒頭のフリアエの「罪とは何か悪とは何か、それがわからぬ私に法を司る資格はあるのだろうか?」みたいな気持ちが足りなかったのかなとは思う法議論中は答えのない難しい答えだとしてたけど、ペトロ自身は街のシステムについて「これなら大丈夫」って思ってそうだったよね嫌悪や恐怖を「わからないことをわかったことにした方が楽」で迫害に走る人々がいるのと同じで、迫害をなくしたい感情が行動原理でも(迫害はどう無くせば良いのか)「わからないことをわかったことにした方が楽」の罠に陥っちゃった印象はある人々の愛や善意を信じれば、愛や善意に頼りきりなシステムを作れるから感情的にもコスト的にもその方が楽なんだよね全ての人間を頭ごなしに信じなくとも、迫害された側は迫害しないはず…ってことさえ信じちゃえば法や領地統治などの人間管理側に居るなら、フリアエみたいな「資格はあるのだろうか?」って態度でいるのがベターっぽい
始める取り組みへの楽観視は確かに責任として問われなきゃいけない部分だよねぇそもそも既に脅かされた故にまともな精神状態でない可能性大な人々を一箇所に掻き集めて、なんか割と落ち着いたし自分は席を外しても大丈夫と安心しきってしまうのはどうなん?という点本来の管轄地は別らしいし忙しいのはわかるけど、始める以上は何か起きたらすぐ対応出来るような環境にしないとだし王都お墨付きを偽装したり隠れ部屋でコソコソやってた真犯人側が悪いのは間違いなくそう、でも長期間離れる(あと、腹心の誰かとか異常を連絡してくれる役割を用意しなかった?)のは責任感のやや欠ける選択だったと思う善性大前提のシステムはそうでない集団がたまたま多い時にぶち当たると事故るし、そんな場合にも機能するまで整えてなきゃいけないっていうかそれもこれも、結局世の中ペトロみたいな善玉が中央値ではなくむしろ…な世知辛い現実があるからってふと虚しくなる
過失も人殺しに含むならヘレシーさんだって人殺しなように、もし仮にペトロみたいな善玉が中央値だったとしてもその善良な人々が「自分の善なる心をそのまま善なる行動として"結果"を出すことが出来る」かはまた別なんだよなそう思うと"結果"は作中セリフ通りすごく大事なんだけど、すごく難しい……
ご利用の皆様が気持ちよく書き込みできる掲示板であり続けるために、以下に該当するような投稿はお控えくださいますようご協力お願いいたします。
等
※公式ポータル利用規約 第4条及び投稿ルールもあわせてご確認ください。 ※違反が確認された際には然るべき対応をさせていただきます。
今回街の管理人として領主は責任を負う結果になったけど
答えの無い答え探しに向き合い続ける姿勢、イタチごっこをただの虚無と見做すのでなく大事な意義を見出す視点、責任から逃げない覚悟
等々、失うには凄く惜しい善性の人だなぁと思った
もちろん死刑確定に決まった訳では無いんだけど
フリアエとの会話は読んでてルシファーメギスト思い出したよ
ヴァイガルドではいいやつから死んでいくから(語弊)
このバラムの台詞はソロモンにも通じる話でソロモンがどんなに優秀で善人でも結果が伴わなければペトロみたいに罪を問われる、責任の重い立場なんだなと思うとちょっと怖かった
今回は最近のシナリオの「意思で世界を変えたい」という話に対する「自分の確かな意思で行動しても報われなかった」話であり、無知や愚かさは罪になり得るという話でもあると思った
ペトロは無知な愚者で結果的な罪人で報われない善人だったね…
うーんでも全知全能の神でもないし、誰が結果を完全に把握して行動できるというのだろう
バラム当人もメギドラルでやらかしてるわけだし、第三者の立場で欠点だけを指摘するのは違うと思うんだけどね
社会的には結果を見て判断って意見はすごくずっしり来た、まさに自分達も避けられない運命…
悪気がなかったのでお咎めなしでーす!は連発しまくってたら、確かに世の中めちゃくちゃになる
ただ今回のバラムはけっこう感情的に言葉を放ってる印象だったな、自分が過去見た場所だからってムキになってる様に見えたというか
感情は全く別物だけど命令無視してアッキピテルの元へ駆け出した様に、領主も今殺されかけてる人々を救いたいって衝動があったんだよね
あくまで主犯は全く別(コレは本当にガチでそう)とか、何よりハルマ自身全く同じ出発地点だったのに堂々と責められたモンでもないとか
いわゆる情状酌量も見込める部類じゃないかな…と個人的には期待してる
裁くべき立場の人を裁くのは必要な事だけど、ただお仕置きして終わりじゃなくて背景を丁寧に分析した上で今後を見据えた結果が望ましいというか
誰しも全知全能ではない状況で社会を健全に保って行くにはどうするのが良いか?って確かに答のない答え探しなんだな、ハルファスの決められないはある意味超誠実だと感じた
同じくバラムは今回感情的に感じたが、これまで魔女狩りだの悪魔狩りだので
追放メギドが吊るされてきたのを見てきたのかもね。
バラム自身がソロモンの認識外で色々と動いてる面もあって、
そこは正直今回の審問官と同じだから(背任と手助けのようにそれぞれ目的は違うけど)
いつかそうした行動でソロモンが責任を取る必要ができたときに同じことを言えるのかなと少し疑問
良くも悪くも手段より目的、過程よりも結果を重視するところがバラムらしさが出てる意見だよね
ルシファーの裁定ではないが、ある誰かの立場に立って考えようとすると見方に偏りが生じるから、みんなの立場から考えて誰にも責任を問わなかったハルファスは平等で物凄く優しい
しかし博愛は誰も愛していないのと同じとよく言うように、時に平等さは誰にも優しくしないのと同じになる場合がある(あくまで場合による。これもまた結果次第だろう)
そう考えるとある意味バラムの意見も、偏っている優しさと取れないこともない
バラムはメギドでもヴィータでもなく追放メギドの味方であることを選んだ立場だから、バラムからは誰にも責任を問わないという意見は出てこないのかもなあ。良くも悪くも
バラムが感情的、ペトロは情状酌量があってもいい、はそう思う
タイトル「汝、罪人なりや?」誰もが罪を問われ得る、責任ある者ほどその問いを自分に問い続けなければならない、という重苦しい意味だけでなく、ハルファスの「本当に誰かに罪はあるの?」という優しい意味も感じられて好き
疑問形なのも答えの無さ故かもしれん
ペトロは感情的には罪人には思えないけれど、イベスト冒頭のフリアエの「罪とは何か悪とは何か、それがわからぬ私に法を司る資格はあるのだろうか?」みたいな気持ちが足りなかったのかなとは思う
法議論中は答えのない難しい答えだとしてたけど、ペトロ自身は街のシステムについて「これなら大丈夫」って思ってそうだったよね
嫌悪や恐怖を「わからないことをわかったことにした方が楽」で迫害に走る人々がいるのと同じで、迫害をなくしたい感情が行動原理でも(迫害はどう無くせば良いのか)「わからないことをわかったことにした方が楽」の罠に陥っちゃった印象はある
人々の愛や善意を信じれば、愛や善意に頼りきりなシステムを作れるから感情的にもコスト的にもその方が楽なんだよね
全ての人間を頭ごなしに信じなくとも、迫害された側は迫害しないはず…ってことさえ信じちゃえば
法や領地統治などの人間管理側に居るなら、フリアエみたいな「資格はあるのだろうか?」って態度でいるのがベターっぽい
始める取り組みへの楽観視は確かに責任として問われなきゃいけない部分だよねぇ
そもそも既に脅かされた故にまともな精神状態でない可能性大な人々を一箇所に掻き集めて、なんか割と落ち着いたし自分は席を外しても大丈夫と安心しきってしまうのはどうなん?という点
本来の管轄地は別らしいし忙しいのはわかるけど、始める以上は何か起きたらすぐ対応出来るような環境にしないとだし
王都お墨付きを偽装したり隠れ部屋でコソコソやってた真犯人側が悪いのは間違いなくそう、でも長期間離れる(あと、腹心の誰かとか異常を連絡してくれる役割を用意しなかった?)のは責任感のやや欠ける選択だったと思う
善性大前提のシステムはそうでない集団がたまたま多い時にぶち当たると事故るし、そんな場合にも機能するまで整えてなきゃいけないっていうか
それもこれも、結局世の中ペトロみたいな善玉が中央値ではなくむしろ…な世知辛い現実があるからってふと虚しくなる
過失も人殺しに含むならヘレシーさんだって人殺しなように、もし仮にペトロみたいな善玉が中央値だったとしてもその善良な人々が「自分の善なる心をそのまま善なる行動として"結果"を出すことが出来る」かはまた別なんだよな
そう思うと"結果"は作中セリフ通りすごく大事なんだけど、すごく難しい……