今回のイベントはモブに至るまで一人一人ちゃんと見せ場活躍があって面白かった
各キャラ個性はあったかもしれないけど、ストーリー的には微妙…全く面白くない訳ではないが、救われない陳腐な演劇見せられてた感じソロモン達は毎度変わらず鈍感極まりないし、最後の両家の退場シーンとか淡白すぎて残念しかないあとポータルで一部貴族枠の出演の多さの意見を見たのか知らんがルキフゲスが代わりに今後良く出るんだろうなって思ったウゼェしか言わない自称自然保護のアレよりは遥かにマシだけど
ルキフゲスの出演よかったルキフゲス自身がキャラストで「遺髪で親しい人物の死を受け取っている」からあの場面が生きると思った(虚無イベのタナトスみたいな出演)歌や物語が決して何でも出来る「魔法じゃない」けど無力でもない「祈り」が良かったよねそして悲劇イベの歌劇(オペラ)仕立てに続いて今年はミュージカルっぽかった
昔の悪い慣習を擦り続けて手遅れの状態にまでなった街をどうするかって難しいお話だったけど、全然陳腐じゃなかったけどなー
個々としてのキャラは動いてだろうけど、結果が見え見えでメギドお得意のヴィータの命の安売り、手遅れレベルが演劇と歌で皆考えを改めましたじゃねぇ…プロメテウスとか普段から音楽や歌で人々に勇気とか与えてる存在なのに何でこんなギスギス案件イベントに登場させたんだよって感じだしフルーレティの即興台本とはいえ、プロメテウスが人を殺すフリやら両家のあっさりムシャムシャ退場とか正直全体的に何させたくて何をこのイベントで伝えたいのかよく分からん難しいお話だから説明するのは難しいかも知れないけどイベント(キャラ個別は無し)を通じて、自分はこう感じて良いイベントだったと思うとか教えてほしい。
歌で何がしたくないのか、歌で何がしたいのかそれが物語スタート時点でプロメテウスにはあって、ロキには(モヤモヤと抱えるものは既にあるけど)まだなかったそれが歌いたいという気持ちや「君に届け」という気持ちのタイトル回収へつながって行くところが良かったそして実際マネージャーには届き、街の人々は(音楽は魔法じゃないので)変わったり変わらなかったりだけど、確かに何か届いたそこが良かったフルーレティの文学に対する「祈り」も良かった(バールゼフォンがサタナイルのキャラストで言っていたように)芸術ってある意味純粋な生存には必要なく、その無力さを分かった上で領主二人の"生き方"に届いて欲しかった届かずに二人の"生き方"は"死に方"になってしまったけど、これもまた「君に届け」の気持ちだよねロキの気持ちが届いたマネージャーの、自分の死(遺髪)を届けたい気持ちこれもロキへの想いと贖罪の「君に届け」で良かったそして領主二人がフルーレティに「一番町を想っていた」と表現されたようにあの復讐も町への「君に届け」なんだよね……若干キャラ個別になっちゃったけど、序盤は誰が何を望んでいるのか全く分からない不穏なミステリー調(殺人のフリもその一環かな)だったのが、誰が何を望んでいるのかはたまた流されているだけなのかがじわじわと分かり始め、そしてクライマックスのシーンで様々な想いの「君に届け」に集約していくところが良かった
今思ったけれど前半のキャラがあちこちに分断して動いていてそれぞれで情報も錯綜してる雰囲気はミステリ調演出だけじゃなくて「君に届け」の前振りとしての「断絶」の表現かな仲間ですらそれぞれ気持ちもバラバラ
メギドは陰惨な描写が多いからそこに目がいきがちだけど、伝えたいのはそこではなくて悲惨な状況を改善(変化)していくストーリーで「絶望を希望に変える物語」というキャッチコピーを改めて描いたんだと思ったリリースしてから4年たったけど物語の核は変わらないという気概を感じたから新年一発目のイベントに相応しいと思った
>プロメテウスとか普段から音楽や歌で人々に勇気とか与えてる存在なのに何でこんなギスギス案件イベントに暴魔イベでソロモンはどこかで優しい歌を響かせていてくれってプロメテウスを陰鬱な事件から遠ざけようとしたけど、その本人は自分から戦う事を選んだ面白くなかったって感想は人それぞれだからそこは全然否定するつもりはないけど、ただプロメテウスは最初から綺麗な世界でキラキラしてる世の不幸と断絶した存在って風には書いてないと思う
同じものを読んでもしばしば受け取り手の価値観や視点によって印象はまるで変わってくると思うけど、教えてほしいと言いながらこれちょっと教えを乞う態度じゃないな?な人の視点から読んだものって多少印象が違ってきそう馬鹿にしたいとかそういうことじゃなくて、読み手の態度や性格によって素直に共感できる話と共感しづらい話、合う合わないはあると思う
それこそ、街の人たちの歌劇に対するリアクションがそれぞれだったように、ねそれでもクリエイターは祈りを込めて作品を生み出すのだろう
個人的にはクリエイターのお説教が聞きたいわけじゃないので「この話は何を伝えたいのか」っていうテーマ性ありきの論調は好きじゃないと言うか、そんなもんは読んだ側が自分の感性に従って勝手に読み取った気になってれば良いもんであって、何も読み取れなかったなら「自分にとって得るものはなかったんだな」と思うしか無いもんだとは思うんだけどそれはそれとして街の住人って、言動の攻撃性が強いけど大半は「そういうもんだから」「ずっとそうだから」で何となく対立してきた人達であって、お互いに対抗心や敵意はあっても明確な恨みがあるわけでも無い人達だったから歌劇を通して自分達のやってることを見せられたのが効いたり効かなかったりしたわけで。あっさりムシャムシャされて消えた領主二人と、告げ口君は今回のイベントのキャラで「自分の感情としての憎悪、恨み」が個人の中にちゃんとある存在であって、陳腐なお涙頂戴でも良いから希望がある方がいいんや、で片付けてしまえない人達だった。そんな事言ったら自分らのこの憎しみをどこへ置けば良いんだ、って問に対する答えが無いので結局あの街を丸く収めるためには死ぬしか無かった。あの人らまで歌でどうにか出来ちゃったらもう殆ど洗脳だからねそしてその上で、残った連中に対するサンドバッグとして元執事が担ぎ出された事からも分かる通り、芸術はあの街をちょっと良い方向に転がす切欠にはなったかもしれないけど根本的にはあんまり解決してもいない。まぁだから、芸術とか言葉(これは正しさとか理想とかそういう色んな綺麗めの概念に置き換えても別に良い。今回語ってたのが文筆家のフルーレティなので言葉だけど)っていうのは所詮大した力はないのかもしれんのだけど、そこで諦めたくないよね、陳腐でも良いから希望が良いよね、って姿勢そのものが「祈り」であるという話じゃねーのかなって俺は思った
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今回のイベントはモブに至るまで一人一人ちゃんと見せ場活躍があって面白かった
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各キャラ個性はあったかもしれないけど、ストーリー的には微妙…
全く面白くない訳ではないが、救われない陳腐な演劇見せられてた感じ
ソロモン達は毎度変わらず鈍感極まりないし、最後の両家の退場シーンとか淡白すぎて残念しかない
あとポータルで一部貴族枠の出演の多さの意見を見たのか知らんがルキフゲスが代わりに今後良く出るんだろうなって思った
ウゼェしか言わない自称自然保護のアレよりは遥かにマシだけど
ルキフゲスの出演よかった
ルキフゲス自身がキャラストで「遺髪で親しい人物の死を受け取っている」からあの場面が生きると思った(虚無イベのタナトスみたいな出演)
歌や物語が決して何でも出来る「魔法じゃない」けど無力でもない「祈り」が良かったよね
そして悲劇イベの歌劇(オペラ)仕立てに続いて今年はミュージカルっぽかった
昔の悪い慣習を擦り続けて手遅れの状態にまでなった街をどうするかって難しいお話だったけど、全然陳腐じゃなかったけどなー
個々としてのキャラは動いてだろうけど、結果が見え見えでメギドお得意のヴィータの命の安売り、手遅れレベルが演劇と歌で皆考えを改めましたじゃねぇ…
プロメテウスとか普段から音楽や歌で人々に勇気とか与えてる存在なのに何でこんなギスギス案件イベントに登場させたんだよって感じだし
フルーレティの即興台本とはいえ、プロメテウスが人を殺すフリやら両家のあっさりムシャムシャ退場とか正直全体的に何させたくて何をこのイベントで伝えたいのかよく分からん
難しいお話だから説明するのは難しいかも知れないけどイベント(キャラ個別は無し)を通じて、自分はこう感じて良いイベントだったと思うとか教えてほしい。
歌で何がしたくないのか、歌で何がしたいのか
それが物語スタート時点でプロメテウスにはあって、ロキには(モヤモヤと抱えるものは既にあるけど)まだなかった
それが歌いたいという気持ちや「君に届け」という気持ちのタイトル回収へつながって行くところが良かった
そして実際マネージャーには届き、街の人々は(音楽は魔法じゃないので)変わったり変わらなかったりだけど、確かに何か届いたそこが良かった
フルーレティの文学に対する「祈り」も良かった
(バールゼフォンがサタナイルのキャラストで言っていたように)芸術ってある意味純粋な生存には必要なく、その無力さを分かった上で領主二人の"生き方"に届いて欲しかった
届かずに二人の"生き方"は"死に方"になってしまったけど、これもまた「君に届け」の気持ちだよね
ロキの気持ちが届いたマネージャーの、自分の死(遺髪)を届けたい気持ち
これもロキへの想いと贖罪の「君に届け」で良かった
そして領主二人がフルーレティに「一番町を想っていた」と表現されたようにあの復讐も町への「君に届け」なんだよね……
若干キャラ個別になっちゃったけど、序盤は誰が何を望んでいるのか全く分からない不穏なミステリー調(殺人のフリもその一環かな)だったのが、誰が何を望んでいるのかはたまた流されているだけなのかがじわじわと分かり始め、そしてクライマックスのシーンで様々な想いの「君に届け」に集約していくところが良かった
今思ったけれど前半のキャラがあちこちに分断して動いていてそれぞれで情報も錯綜してる雰囲気はミステリ調演出だけじゃなくて「君に届け」の前振りとしての「断絶」の表現かな
仲間ですらそれぞれ気持ちもバラバラ
メギドは陰惨な描写が多いからそこに目がいきがちだけど、伝えたいのはそこではなくて悲惨な状況を改善(変化)していくストーリーで「絶望を希望に変える物語」というキャッチコピーを改めて描いたんだと思った
リリースしてから4年たったけど物語の核は変わらないという気概を感じたから新年一発目のイベントに相応しいと思った
>プロメテウスとか普段から音楽や歌で人々に勇気とか与えてる存在なのに何でこんなギスギス案件イベントに
暴魔イベでソロモンはどこかで優しい歌を響かせていてくれってプロメテウスを陰鬱な事件から遠ざけようとしたけど、その本人は自分から戦う事を選んだ
面白くなかったって感想は人それぞれだからそこは全然否定するつもりはないけど、ただプロメテウスは最初から綺麗な世界でキラキラしてる世の不幸と断絶した存在って風には書いてないと思う
同じものを読んでもしばしば受け取り手の価値観や視点によって印象はまるで変わってくると思うけど、教えてほしいと言いながらこれちょっと教えを乞う態度じゃないな?な人の視点から読んだものって多少印象が違ってきそう
馬鹿にしたいとかそういうことじゃなくて、読み手の態度や性格によって素直に共感できる話と共感しづらい話、合う合わないはあると思う
それこそ、街の人たちの歌劇に対するリアクションがそれぞれだったように、ね
それでもクリエイターは祈りを込めて作品を生み出すのだろう
個人的にはクリエイターのお説教が聞きたいわけじゃないので「この話は何を伝えたいのか」っていうテーマ性ありきの論調は好きじゃないと言うか、そんなもんは読んだ側が自分の感性に従って勝手に読み取った気になってれば良いもんであって、何も読み取れなかったなら「自分にとって得るものはなかったんだな」と思うしか無いもんだとは思うんだけどそれはそれとして
街の住人って、言動の攻撃性が強いけど大半は「そういうもんだから」「ずっとそうだから」で何となく対立してきた人達であって、お互いに対抗心や敵意はあっても明確な恨みがあるわけでも無い人達だったから歌劇を通して自分達のやってることを見せられたのが効いたり効かなかったりしたわけで。
あっさりムシャムシャされて消えた領主二人と、告げ口君は今回のイベントのキャラで「自分の感情としての憎悪、恨み」が個人の中にちゃんとある存在であって、陳腐なお涙頂戴でも良いから希望がある方がいいんや、で片付けてしまえない人達だった。そんな事言ったら自分らのこの憎しみをどこへ置けば良いんだ、って問に対する答えが無いので結局あの街を丸く収めるためには死ぬしか無かった。あの人らまで歌でどうにか出来ちゃったらもう殆ど洗脳だからね
そしてその上で、残った連中に対するサンドバッグとして元執事が担ぎ出された事からも分かる通り、芸術はあの街をちょっと良い方向に転がす切欠にはなったかもしれないけど根本的にはあんまり解決してもいない。
まぁだから、芸術とか言葉(これは正しさとか理想とかそういう色んな綺麗めの概念に置き換えても別に良い。今回語ってたのが文筆家のフルーレティなので言葉だけど)っていうのは所詮大した力はないのかもしれんのだけど、そこで諦めたくないよね、陳腐でも良いから希望が良いよね、って姿勢そのものが「祈り」であるという話じゃねーのかなって俺は思った