アスモデウスは愛や情を軽視したせいで蛆に負けたけどメギドの「友情」「絆」みたいなものといわゆるヴィータの「愛」との違いはなんなのだろう肉体的性愛(念のため言っておくが、いやらしい話をしようというわけではない)由来のもののみなのだろうか?
あと個人的に一つ気になってるのがかつてブネやバルバトスが(確か魔獅子イベ)「普通メギドは友達と呼ぶ相手はいない」みたいなことを言ってたんだけどアスモデウスたちははっきり「友人」と言ってたよね転生メギドや新世代のメギドたちが友達を作っているのをよく見かけるのでいわゆる「ヴィータの情」寄りの感覚だと思っていたけど、そうじゃないのか?うーん、わかんね!それともメギドの友達とヴィータの友達って意味合いが違う?
戦友的な意味じゃないの
愛って言っても家族愛(プルフラス)や友愛(友情を感じるメギドは色々いる)もあるからなぁ正直そんなに違いがないと思うよ今はなきビルドバロックも爛れていたらしいからかつては性愛もあったかもね普通のメギドは戦争相手or戦争仲間(同僚、上司部下)だし、同僚も潜在的には戦功の競争相手だから対等の相手は居ないという意味でブネたちが友達はいないって言ったのなら長年同盟関係でそれぞれが秘密の継承者という共通点がある大罪同盟で友情は存在するのかも古いメギドでは友情は感じなさそうだけど大罪同盟に関してはあるというパターンかな
だとしたらブネたちが「メギドが友人?魅了だな…(意訳)」って言ったのは何故なんだろうかアスモたちの時代からブネたちの時代までにメギドから失われた概念なのかな
14:55プルフラスは色んな意味で異端な存在だからメギドのスタンダードとして捉えるのは無理だと思うよ
魅了だなってなんだ、妙だなの間違いですでもどっちかというとアスモたちよりか当時のブネたちの方に違和感を覚えたけどね設定ブレでないのなら今後そこら辺が語られるだろうかもしそうならアクィエルがそこにいてほしい
14:55ありゃ、そうなのか。じゃあ除外して考えなきゃか15:11失われたというか一般的にブネを含む古い考えのメギドたちにはないけどその中でも例外として大罪同盟だけが友情関係を感じているということかなと
しかしかつてのアスモはあんなに友情を理解していた(と思われる)のに愛は理解できなかったということは恐らく少なくともデフォルトのメギドに「愛」というものは存在しないわけだよねメギドという作品内での「愛」の立ち位置はやはり肉体由来なのではないだろうかと思うよ性愛だけじゃなく肉親の情というものだって肉体がなければ本来は存在しない概念だしねだってメギドに血縁なんかないんだから
大罪同盟の友情に関しては、新章の懲罰局のメギド曰くメギドらしくないほど全員が仲の良い安定した同盟らしいので、旧世代ならなおさら異端な友情だったっぽい罪の共有ってゆう仲間意識からなのかな?同盟離反時のリヴァイアサンのセリフ仲いいのは上っ面だけで結局戦争かよくっだらねえ何もかも台無しじゃねえかからこの友情関係は今までに無かった特別かつ居心地悪くないもので、だからこそブネたちの言う普通の関係になったことに失望したんでしょう仲直りしてくれ
メギドでありながらメギドらしくない友情を育んでいた大罪同盟が突然侵略してきた「愛」とかいう未知の感情に一瞬で崩されてある意味で本来のメギドらしい関係になってしまったのホント悲惨
でもこれ現実目線でみると仲良しサークルが恋愛沙汰でいさかい起こしてぶっ壊れるっていう俗っぽくてありがちな光景でもあるんだよね
「個」と反するような、他者を自分の一部と感じるほどの強烈な執着はそれまでのメギドにはなかった、とか?ハルマにとっての「愛」も気になる
1856劇中言われてたのは、彼の世界で見たものを自分の中じゃなく相手に見てるから珍しい みたいな感じだっけ戦友とか友軍くらいのノリは割とあるけど、そこまで入れ込むのは特殊って風に解釈したヴァイガルドでも恋愛は概ね一対の絆っぽいけど、言われてみれば友達沢山はよくあるけど「愛」して止まない存在はただ1人って事あるある
混沌より愛をこめての「愛」とはなんぞや…となってきたペルペトゥムの民やシニュムについて歌ってたのかなと思ってたんだけど、今歌詞見返したら大罪同盟との過去にも繋がってそうに見えた
かつて自分を死に至らしめたものを相手に贈るってすげえな…皮肉っぽいっていうかうまく言えないけどアスモっぽい
自分も真っ先に混沌より愛を込めて思い出した。皮肉だよねかつては理解し得なかった愛をヴィータに転生して地べた這いずり回って自分なりに解釈したのかな
ブネバルよりは大罪同盟に世代が近そうなイポスがCサレオスのキャラストで一緒に戦う仲間には価値があるって言ってるから、「戦友」的な友達関係はメギドにもあるんじゃないかな… 仲良しサークルっぽいのがメギドっぽくないだけであと混沌より愛をこめての冒頭、「受け継いだもの」は「継いだ」なのに「つげなかったこと」は漢字にしてないんだよね前から気にはなってたけど「継げなかった」と「告げなかった」のダブルミーニングなのかなとは思った 何をなのかはわからんので聞かないでほしい
02:20>「継げなかった」と「告げなかった」のダブルミーニングそこ、もしかして今回のアスモデウスが蛆に接触していた事を黙ってた部分じゃない?
サークラしたのは愛のせいだけじゃなくて独善的なサークル主の行動や抱える秘密で寄り添えなかった周囲の対応のせいでもあったなぁまあこれも全員を掌で転がした蛆ママのせいだけどアスモは完敗したな
個人的にこえーのはヴィータ体を取らないとメギドには理解できない共感性(情)を蛆は策略として使えるくらい理解して、他人がどう思って行動するかまでわかるってことまぁ本人も幻獣は可愛いって思うくらいだから不思議ではないけどどこから学んだんだろ
夢見の者は古代大戦以前から存在する勢力だし今の蛆の精神世界がヴァイガルドに似てるのも夢見が関わってるらしいから夢見からヴァイガルドやヴィータの情報提供を受けてたんだろうな多くのメギドがヴァイガルドに興味無かった大罪同盟の現役時には夢見の存在意義も薄かったろうし蛆に保護されてたのかもしれない
79話・4「(ヴァイカトルスでは)感情が強く記憶される、社会性を持つヴィータが基盤だから」「友情」「愛(特別な共感性)」の関係を重んじるのはヴィータ的ぽい。メギドの「友情」「愛」に見えるものは「蛆勢力と戦う」本分やそれに伴う性質に比べたら弱い、というのが違い?92話・4 ルシファー『「個」を戦争相手とも戦争仲間ともみなさずに、もっと別のなにかとして見る…彼の世界から持ってきたものを自分の内側にではなく「外」の誰かの中に見るということ』『メギドの魂を否定している』 (カトルスの想定したものかは不明)大罪同盟やルシファー・ベリアルの「友人」関係が役職あってのものかそうでないのかはよく分からない。リヴァイアサンは育てた子たちに愛情を持ってると思うけど、人間の母親みたいに自分の子供が大怪我した時、ちょっと正気を失ってしまうとかはなさそうな気がする。自分と子供を同一視はしてないというか。そういうラインはあるのかも。
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アスモデウスは愛や情を軽視したせいで蛆に負けたけど
メギドの「友情」「絆」みたいなものといわゆるヴィータの「愛」との違いはなんなのだろう
肉体的性愛(念のため言っておくが、いやらしい話をしようというわけではない)由来のもののみなのだろうか?
あと個人的に一つ気になってるのが
かつてブネやバルバトスが(確か魔獅子イベ)「普通メギドは友達と呼ぶ相手はいない」みたいなことを言ってたんだけど
アスモデウスたちははっきり「友人」と言ってたよね
転生メギドや新世代のメギドたちが友達を作っているのをよく見かけるのでいわゆる「ヴィータの情」寄りの感覚だと思っていたけど、そうじゃないのか?
うーん、わかんね!
それともメギドの友達とヴィータの友達って意味合いが違う?
戦友的な意味じゃないの
愛って言っても家族愛(プルフラス)や友愛(友情を感じるメギドは色々いる)もあるからなぁ
正直そんなに違いがないと思うよ
今はなきビルドバロックも爛れていたらしいからかつては性愛もあったかもね
普通のメギドは戦争相手or戦争仲間(同僚、上司部下)だし、同僚も潜在的には戦功の
競争相手だから対等の相手は居ないという意味でブネたちが友達はいないって言ったのなら
長年同盟関係でそれぞれが秘密の継承者という共通点がある大罪同盟で友情は存在するのかも
古いメギドでは友情は感じなさそうだけど大罪同盟に関してはあるというパターンかな
だとしたらブネたちが「メギドが友人?魅了だな…(意訳)」って言ったのは何故なんだろうか
アスモたちの時代からブネたちの時代までにメギドから失われた概念なのかな
14:55
プルフラスは色んな意味で異端な存在だからメギドのスタンダードとして捉えるのは無理だと思うよ
魅了だなってなんだ、妙だなの間違いです
でもどっちかというとアスモたちよりか当時のブネたちの方に違和感を覚えたけどね
設定ブレでないのなら今後そこら辺が語られるだろうか
もしそうならアクィエルがそこにいてほしい
14:55
ありゃ、そうなのか。じゃあ除外して考えなきゃか
15:11
失われたというか一般的にブネを含む古い考えのメギドたちにはないけど
その中でも例外として大罪同盟だけが友情関係を感じているということかなと
しかしかつてのアスモはあんなに友情を理解していた(と思われる)のに
愛は理解できなかったということは
恐らく少なくともデフォルトのメギドに「愛」というものは存在しないわけだよね
メギドという作品内での「愛」の立ち位置はやはり肉体由来なのではないだろうかと思うよ
性愛だけじゃなく肉親の情というものだって肉体がなければ本来は存在しない概念だしね
だってメギドに血縁なんかないんだから
大罪同盟の友情に関しては、新章の懲罰局のメギド曰く
メギドらしくないほど全員が仲の良い安定した同盟
らしいので、旧世代ならなおさら異端な友情だったっぽい
罪の共有ってゆう仲間意識からなのかな?
同盟離反時のリヴァイアサンのセリフ
仲いいのは上っ面だけで結局戦争かよくっだらねえ
何もかも台無しじゃねえか
からこの友情関係は今までに無かった特別かつ居心地悪くないもので、
だからこそブネたちの言う普通の関係になったことに失望したんでしょう
仲直りしてくれ
メギドでありながらメギドらしくない友情を育んでいた大罪同盟が
突然侵略してきた「愛」とかいう未知の感情に一瞬で崩されて
ある意味で本来のメギドらしい関係になってしまったのホント悲惨
でもこれ現実目線でみると
仲良しサークルが恋愛沙汰でいさかい起こしてぶっ壊れるっていう
俗っぽくてありがちな光景でもあるんだよね
「個」と反するような、他者を自分の一部と感じるほどの強烈な執着は
それまでのメギドにはなかった、とか?
ハルマにとっての「愛」も気になる
1856
劇中言われてたのは、彼の世界で見たものを自分の中じゃなく相手に見てるから珍しい みたいな感じだっけ
戦友とか友軍くらいのノリは割とあるけど、そこまで入れ込むのは特殊って風に解釈した
ヴァイガルドでも恋愛は概ね一対の絆っぽいけど、言われてみれば友達沢山はよくあるけど「愛」して止まない存在はただ1人って事あるある
混沌より愛をこめての「愛」とはなんぞや…となってきた
ペルペトゥムの民やシニュムについて歌ってたのかなと思ってたんだけど、今歌詞見返したら大罪同盟との過去にも繋がってそうに見えた
かつて自分を死に至らしめたものを相手に贈るってすげえな…
皮肉っぽいっていうかうまく言えないけどアスモっぽい
自分も真っ先に混沌より愛を込めて思い出した。皮肉だよね
かつては理解し得なかった愛をヴィータに転生して地べた這いずり回って自分なりに解釈したのかな
ブネバルよりは大罪同盟に世代が近そうなイポスがCサレオスのキャラストで一緒に戦う仲間には価値があるって言ってるから、「戦友」的な友達関係はメギドにもあるんじゃないかな… 仲良しサークルっぽいのがメギドっぽくないだけで
あと混沌より愛をこめての冒頭、「受け継いだもの」は「継いだ」なのに「つげなかったこと」は漢字にしてないんだよね
前から気にはなってたけど「継げなかった」と「告げなかった」のダブルミーニングなのかなとは思った 何をなのかはわからんので聞かないでほしい
02:20
>「継げなかった」と「告げなかった」のダブルミーニング
そこ、もしかして今回のアスモデウスが蛆に接触していた事を黙ってた部分じゃない?
サークラしたのは愛のせいだけじゃなくて独善的なサークル主の行動や抱える秘密で寄り添えなかった周囲の対応のせいでもあったなぁ
まあこれも全員を掌で転がした蛆ママのせいだけどアスモは完敗したな
個人的にこえーのはヴィータ体を取らないとメギドには理解できない共感性(情)を
蛆は策略として使えるくらい理解して、他人がどう思って行動するかまでわかるってこと
まぁ本人も幻獣は可愛いって思うくらいだから不思議ではないけどどこから学んだんだろ
夢見の者は古代大戦以前から存在する勢力だし今の蛆の精神世界がヴァイガルドに似てるのも夢見が関わってるらしいから夢見からヴァイガルドやヴィータの情報提供を受けてたんだろうな
多くのメギドがヴァイガルドに興味無かった大罪同盟の現役時には夢見の存在意義も薄かったろうし蛆に保護されてたのかもしれない
79話・4「(ヴァイカトルスでは)感情が強く記憶される、社会性を持つヴィータが基盤だから」
「友情」「愛(特別な共感性)」の関係を重んじるのはヴィータ的ぽい。
メギドの「友情」「愛」に見えるものは
「蛆勢力と戦う」本分やそれに伴う性質に比べたら弱い、というのが違い?
92話・4 ルシファー『「個」を戦争相手とも戦争仲間ともみなさずに、もっと別のなにかとして見る…
彼の世界から持ってきたものを自分の内側にではなく「外」の誰かの中に見るということ』
『メギドの魂を否定している』 (カトルスの想定したものかは不明)
大罪同盟やルシファー・ベリアルの「友人」関係が役職あってのものかそうでないのかはよく分からない。
リヴァイアサンは育てた子たちに愛情を持ってると思うけど、
人間の母親みたいに自分の子供が大怪我した時、
ちょっと正気を失ってしまうとかはなさそうな気がする。
自分と子供を同一視はしてないというか。そういうラインはあるのかも。