フォルネウスが食事する機会は何度も描かれていたけど、どれも飲み食いしなかったのは何を表現しているんだろう?
パンを買って捨てたのは親しげに接して人心掌握する為、別にフォルネウスがその時腹減ってたわけじゃないしいらないから捨てたって事だとしてニスロク理念というか、ゼロ師匠感性というか、ダゴン&老婆の話というか食への姿勢を共にする事=同じ世界で共に生きる事≒目線が合う証みたいなニュアンスあると思ってるで、フォルネウスは食を手段としてばっさり無感情に捨てる事が出来る→目線がみんなと合ってない→おそらく多数派の意思が反映されやすいガルドのカトルス(迷惑な命じゃなければ…という言い方からして、誰でも帰れるんじゃなく迷惑な極一部を弾く事は出来るらしい)から(少なくとも今のままでは)どうあっても歓迎されない存在って表現だと思ってる
もともとフィクションで描かれる食事シーンについて「一緒に食事をするのは仲良しの暗喩」「食事を粗末に扱うキャラは悪人」みたいなテンプレがあるんよ。師弟イベでゼロ師匠だけニスロク飯を食わないとか、イヌーンキャラストでイヌーンはヴィータと一緒にメシ食うのにフォルネウスはパンを捨てるとか、メギドもわりとテンプレに沿ってるとこがある(たぶん意図的にやってると思う)0918さんの挙げた「食への姿勢を共にする事=同じ世界で共に生きる事≒目線が合う証」があって、フォルネウスはそこから外れてるんですよーってことだと思ってる
多分このお約束的なテンプレというか、なんかそういうの拾ってるよねヴィータの築くヴァイガルド社会を良しとしてその中に入るか否かみたいな所ある思うシトリーは食事が大好きで、これからヴァイガルドに来ようとするマモンにそれを伝えたらしいし最初ヴィータのルールガン無視してたダゴンも段々と社会に適応していってるし
ニスロクの「食べることは生きること」とか、ガンコナーの言うところの感覚が共通なら分かり合えるのととか考えると色んな目線の中でも「生に対する目線」とかかな?
「同じ釜の飯を食う」とか「よもつへぐい」とか、言葉が作られた古来から食事を共にすると同族になるという観念があるが、ライターもそこ意識してるんじゃないかと勝手に思ってるヴィータとメギド(メギド体)が食生活からして根本的に違うっていう設定も、ヴィータとメギドの根本的な相容れなさを示唆しているような気がする別に同じ食事取ったりしなくとも言葉で一応頭では理解し合えるけど、より深い「共感」となると同じ味覚・嗅覚・触覚・視覚…で同じモノを感受せねば、結局は本当には分かり合えないと示され続けていると思う最近だとCフォラスのキャラストで言われてた「地を這う視線」にも連なるね
食事は共生の象徴みたいに描かれてるのか…ありがとありがと!となるとBフォルネウスがガルドブレンド2人分も要求してきたのはなんだか感慨深いな…一緒に飲んでくれるかな他のイベントを振り返るたびにフォルネウスの異質さが浮き彫りになってくるの面白いねフルフルイベの食事とかキマリスイベの心の中で生きているとか8章2節解放時に復刻されてたベリトイベの還る場所もかな各イベントが描くテーマと思想が異なるフォルネウスって特異な存在なんだな…
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フォルネウスが食事する機会は何度も描かれていたけど、どれも飲み食いしなかったのは何を表現しているんだろう?
パンを買って捨てたのは親しげに接して人心掌握する為、別にフォルネウスがその時腹減ってたわけじゃないしいらないから捨てた
って事だとして
ニスロク理念というか、ゼロ師匠感性というか、ダゴン&老婆の話というか
食への姿勢を共にする事=同じ世界で共に生きる事≒目線が合う証みたいなニュアンスあると思ってる
で、フォルネウスは食を手段としてばっさり無感情に捨てる事が出来る→目線がみんなと合ってない→おそらく多数派の意思が反映されやすいガルドのカトルス(迷惑な命じゃなければ…という言い方からして、誰でも帰れるんじゃなく迷惑な極一部を弾く事は出来るらしい)から(少なくとも今のままでは)どうあっても歓迎されない存在
って表現だと思ってる
もともとフィクションで描かれる食事シーンについて「一緒に食事をするのは仲良しの暗喩」「食事を粗末に扱うキャラは悪人」みたいなテンプレがあるんよ。師弟イベでゼロ師匠だけニスロク飯を食わないとか、イヌーンキャラストでイヌーンはヴィータと一緒にメシ食うのにフォルネウスはパンを捨てるとか、メギドもわりとテンプレに沿ってるとこがある(たぶん意図的にやってると思う)
0918さんの挙げた「食への姿勢を共にする事=同じ世界で共に生きる事≒目線が合う証」があって、フォルネウスはそこから外れてるんですよーってことだと思ってる
多分このお約束的なテンプレというか、なんかそういうの拾ってるよね
ヴィータの築くヴァイガルド社会を良しとしてその中に入るか否かみたいな所ある思う
シトリーは食事が大好きで、これからヴァイガルドに来ようとするマモンにそれを伝えたらしいし
最初ヴィータのルールガン無視してたダゴンも段々と社会に適応していってるし
ニスロクの「食べることは生きること」とか、ガンコナーの言うところの感覚が共通なら分かり合えるのととか考えると
色んな目線の中でも「生に対する目線」とかかな?
「同じ釜の飯を食う」とか「よもつへぐい」とか、言葉が作られた古来から食事を共にすると同族になるという観念があるが、ライターもそこ意識してるんじゃないかと勝手に思ってる
ヴィータとメギド(メギド体)が食生活からして根本的に違うっていう設定も、ヴィータとメギドの根本的な相容れなさを示唆しているような気がする
別に同じ食事取ったりしなくとも言葉で一応頭では理解し合えるけど、より深い「共感」となると同じ味覚・嗅覚・触覚・視覚…で同じモノを感受せねば、結局は本当には分かり合えないと示され続けていると思う
最近だとCフォラスのキャラストで言われてた「地を這う視線」にも連なるね
食事は共生の象徴みたいに描かれてるのか…ありがとありがと!
となるとBフォルネウスがガルドブレンド2人分も要求してきたのはなんだか感慨深いな…一緒に飲んでくれるかな
他のイベントを振り返るたびにフォルネウスの異質さが浮き彫りになってくるの面白いね
フルフルイベの食事とかキマリスイベの心の中で生きているとか8章2節解放時に復刻されてたベリトイベの還る場所もかな
各イベントが描くテーマと思想が異なるフォルネウスって特異な存在なんだな…