今回のイベント、敵のアザゼル達に正体不明のエモさを感じてたんだけどシナリオを読みきって正体が分かった彼らは確かに洗脳されてるけど洗脳とは別に強固な信頼関係で結ばれてたんだよなそうじゃないと最後にジャンに「アザゼル」を託せないもん感動と空虚を同時に味わえる良質なイベントだった
個人的にはそのあたりは生物的な種の存続、あるいは蟲毒を想起したかなどう転んでも「負けはない」としたのは、最後のアザゼルとジャンで「どちらが勝っても『アザゼル』は生き残る」のと同時に「アザゼル同士で潰しあった結果残ったアザゼルは『アザゼル』の中で最強、だから存続が確定する」ということだから、信頼というよりは「そうなるのが当然だ」という論理的帰結の発想によるものだと受け取ったこれはある意味で「里の為に身を犠牲にする忍者」それそのものだから、そこにエモさを感じるのは自然だと思うけどね
俺は逆にアザゼル達は最後まで機械的にアザゼルを全うしたのに、ジャンはアザゼル達に対して多少の情を見せたのにやるせなさを感じた
自分たちを裏切ったジャンも当然のようにアザゼルの頭数にいれてるのに群生生物の思考を感じてゾクゾクした疑いなんか持たなければある意味楽な生きかたなのでは…
自分たちが死ぬことで半端者がアザゼルになると確信してたのは呪いのようで怖かったなお前に他に名乗る名前なんてないだろ、とか自分たちの死の重みを押し付けてるというか…思考まで同じだと理解してるから出来ることだったのかもしれないがそう考えるともっと怖い
今回のイベント、敵のアザゼル達に正体不明のエモさを感じてたんだけどシナリオを読みきって正体が分かった
彼らは確かに洗脳されてるけど洗脳とは別に強固な信頼関係で結ばれてたんだよな
そうじゃないと最後にジャンに「アザゼル」を託せないもん
感動と空虚を同時に味わえる良質なイベントだった
個人的にはそのあたりは生物的な種の存続、あるいは蟲毒を想起したかな
どう転んでも「負けはない」としたのは、最後のアザゼルとジャンで「どちらが勝っても『アザゼル』は生き残る」のと同時に「アザゼル同士で潰しあった結果残ったアザゼルは『アザゼル』の中で最強、だから存続が確定する」ということだから、信頼というよりは「そうなるのが当然だ」という論理的帰結の発想によるものだと受け取った
これはある意味で「里の為に身を犠牲にする忍者」それそのものだから、そこにエモさを感じるのは自然だと思うけどね
俺は逆にアザゼル達は最後まで機械的にアザゼルを全うしたのに、ジャンはアザゼル達に対して多少の情を見せたのにやるせなさを感じた
自分たちを裏切ったジャンも当然のようにアザゼルの頭数にいれてるのに群生生物の思考を感じてゾクゾクした
疑いなんか持たなければある意味楽な生きかたなのでは…
自分たちが死ぬことで半端者がアザゼルになると確信してたのは呪いのようで怖かったな
お前に他に名乗る名前なんてないだろ、とか
自分たちの死の重みを押し付けてるというか…
思考まで同じだと理解してるから出来ることだったのかもしれないがそう考えるともっと怖い